飽きるのは悪い事?



はじめに

「飽きる」ということに関しては、「飽きっぽい」「すぐに飽きて、やめてしまう」といったように、
ネガティブなイメージが定着しているように感じます。

たしかに、活動提供側から見れば、対象者の方々が作業に飽きてしまうと、その後が続かなくなり、
困ってしまうという気持ちは私も理解できます。
できれば、飽きないで、楽しく、活動を続けて欲しい。
これは、提供者側には共通した気持ちでしょう。




飽きる人はけっこういるけれど…

私が作業療法士として、様々なプログラムを提供しながら対象者に関わって2年になりますが、
他スタッフさんから、「患者さんたち、すぐ飽きてしまって、大変でしょう?」と言われることがあります。
「患者さんたちって、本当に飽きやすいのよねー」と、同意を求められることもあります。
「飽きさせないように、面白いもの考えなくてはいけなくて大変ね」と言われたりもします。

しかしながら、我々は患者さんのご機嫌とりをしているわけではないのですから、
「飽き」は「飽き」。普通に起こりうるもので、必死に避けてとおるまでのものではありません。
そして、飽きるってことは、決して悪いことではない。
私は、日々対象者と関わっていく中で、そんな風に思うのです。
このことに関してお話するためには、まず、先に、二つのことに関してお話をさせてください。



 
継続はやっぱり大切!
 
「飽きっぽい」「根気がない」というのは、たしかに難点のひとつといえると、私も思います。
根気がなく、飽きてすぐに作業を投げ出してしまう人は、
ひとつの事をやりとげたという達成感も、満足感も、周囲からの賞賛も報酬も得られないため、
それらを原料とする自尊心や自己効力感なども得られ難く、
そこから先に進んでいくという心のエネルギーを蓄えることができません。

継続は力なり。これは、実践を通して本当に実感できるものです。
最初どんなに下手でも、継続すれば、少しずつでも水準を上げていくことは可能です。
方向転換も出来るし、内容の調整も出来るし、どんなふうにだって成功へともっていくことは出来ます。
継続とは、進む力です。やめてしまえば、そこで終了。
上にも下にも横にも斜にも、どこにも行きません。
どのような対象者でも、まずは、どうすれば「継続」性を持たせられるのか?
どのような傾向の作業なら継続できるか?を考え、
次に繋がることを念頭に置いてプログラムを考えなくてはなりません。

もちろん、単発な作業が、他の作業への意欲となったりもするわけですから、
「ひとつのことをやり続ける」ということが、必ずしも「継続」というわけではありません。
こういったことは、普通はある程度、自然に重ねられることですが、
我々活動提供者は、意図的にこれを導くことを考えていくことが必要です。




喧嘩は場数、というように…

では、もうひとつ「楽しみの閾値」、ということについて。

我々は、活動提供者ですが、対象者に提供される活動は、
いたってシンプルな、初歩的な内容であることが少なくありません。
しかし、多くの対象者はそれを楽しんで、もしくは苦労しながら一生懸命に取り組みます。
それはどうしてだと思いますか?

こんなこともありました。
私が学生時代、他の精神科の文化祭の手伝いをボランティアで行なった際、
OTの作品販売をしているところに、ひとりの患者さんが、看護士さんに連れられてやってきました。
その人は比較的重度で、歩行もおぼつかなく、言葉も上手く話せないようでした。
その人は、そこに出展されている作品の中から、
安っぽい、手縫いの、何のへんてつもない手作りのきんちゃくを選び、
Nsにお金を出してもらって手に入れ、入れ歯の入っていない顔をシワクチャにして、
それこそ私が今でも忘れられないほど素晴らしい満面の笑みを見せたのです。
微笑ましい光景、とも言えるかもしれませんが、私はその時、とても悲しい、嫌な気持ちになりました。
だってそれは、本当に安っぽい、なんのへんてつもない巾着袋だったのですから。

 もちろん、私はその人が、満面の笑みを見せるほど嬉しい体験をした、
その事に関しては素直に喜びましょう。
私が嫌だ、と感じたことは、その、ちっぽけな巾着袋が、その人の最大限の喜びに匹敵してしまうほど、
その人は喜びの閾値が低い状態にある、ということなのです。

 私たちも、生まれたときや子供のころは、いろんな物に価値を見出していたものです。
昔とても好きだったものが、今ではとてもつまらなく思える。
それは、子供の時分は、全てが新しく、不思議な、慣れないものであったからです。
しかし我々は、そのような物に囲まれて歳を重ね、沢山の経験を積み、
そしてそれらが容易に手に入るようになると、次第に「慣れ」、「飽き」、喜びや楽しみを感じなくなります。
そしてもっと楽しいもの、もっと素敵なもの、と、次々に質のよいものへと段階が進んでいきます。
そうして、欲しいと思ったものを手に入れていくことが出来ます。そして今の私たちがあるわけです。

 しかし、その人の「最大限の喜び」は、その安っぽいきんちゃく袋でありました。
もちろん、人の喜びの価値は、同じでしょう。
しかし、それには、彼女にはそれほど嬉しい経験が少ないということが示されています。
それが病によって起こされていることであるならば尚更、
世の中にはもっと楽しいことが沢山あるし、もっともっと素敵なものが沢山あるという事を知って欲しい。
彼等はそれを手に入れることが今は出来るのに、
今までそれが叶わなかった時代があまりにも長すぎたから、
その人自身が、自分には叶わないものと諦めてしまっている。
私は、それが、大変悲しく、嫌だったのです。

若干話が横道にそれてしまいましたが、要は、現在の自分の水準のものを継続すれば、
慣れるなり飽きるなりして、結果、「水準」や「質」は、自然に向上していくということです。
我々からみて、水準が低く見えるからといって、その段階を飛ばしてはいけません。



飽きを原動力にかえよう!

「継続」と「飽き」。二つは相反するもののように聞こえますが、
継続は飽きを内包できます。飽きながらも継続する。これは一体どういうことか?
 
先ほどまでの話から言えるように、継続することはもちろん大切なのですが、
飽きる、ということは、次のステップへと進むチャンスでもあるのです。

 今の段階に「飽き」、もっと面白いもの、もっと難しいもの、もっとワクワクするものが欲しくなる。
その時に、我々がどのように対応すれば、対象者のその「もっといいものが欲しい」感を原動力に、
次のステップの方向へと背中を押す事ができるのか。

それが、提供者の腕の見せ所です。
なりゆきまかせは援助者としてはあんまりです。
「飽き」ポイントを逃さず、次の段階のものへと進めて継続していく。
 これが、「飽きを内包した継続」ですというわけですね。



スタッフの役割は

介入する際の、「本人の主体性にまかせて…」というのは、
スタッフの聞こえのいい「逃げ」ではないかと、私は感じています。

もちろん、その人の人生なのですから、一番の責任者は当事者であるのですが、
我々も、生活している間、必ずしもよいものを選び取って生きているわけではありません。
加えて、彼らのように、時代による不自由な環境に慣れ、
隔離・収容という虐げられた経験も持ち、得たいものが得られなかった時代が長く、
抗おうという牙も削がれ、「諦める」癖のついてしまっている対象者自身の選び取ったものを、
果たして、本当に「本人が選んだんだからよい」というように、アッサリ採用してよいものでしょうか。

ここは医療現場で、我々は医療スタッフなのですから、
本人の気持ちや意思を十分に汲みながらも、
その人がよりよい方向へ向かえるように考えながら援助することが必要です。

現状に甘んじるのではなく、本人が自分にできると想像できなかった部分までも、広げたいのです。
自分には出来ないと諦めてしまっている事を、本当は出来るということを知って欲しいのです。

スタッフは、「これがあなたのためなんだから!」なんて、自分たちの価値観を押しつけるのではなく、
本人の視点から未来を一緒に考えること、これが大切です。
※この点に関しては、「作業療法って何だろう?」の「行動変容を起こす作業」にも関連がありますので、
宜しければご一読戴けますと幸いです。



飽きないプログラム

 さて、「決して飽きることは悪いことではない」とはいうもののが、飽きるということは、
プログラムにだってやはり問題がある場合があります。
 
ポイントは、難易度、段階付け、対象者の興味とスタッフの介入度。
自分のレベルよりも難易度の低いものというのは、スラスラ出来て愉快な反面、やはり飽きるのです。
逆に、自分のレベルよりも難しすぎるのも、全然出来ないので、やはり飽きるのです。
その人個々人のレベルに見合った内容(適度もしくは能力よりすこし上)の作業を提供しなくてはなりません。

そうして、少しずつでもレベルアップしていけるように、段階をつけること。
そうして、そのレベルアップするという快感を、自分自身が理解できることが大切です。
段階づけは、種目や、種類や、素材や介入度、工程などの調整で行います。

難しそうだと尻込みする対象者に、
「じゃあ、できないところは手伝うから、この中から一番簡単なやつをやってみようか」という呼びかけは、有効です。
「一番簡単なやつならやってみようかな…」という気持ちにもなるものです。
逆に、「私が作るから、○○さん、私のお手伝いお願いできるかな?」という導入も有効です。

まずは、対象者のストレスの少ない着手のきっかけを作ること。

そうして、導入部においては、失敗をさせないことが大切です。
失敗が次への原動力となるのは、もっとずっと後のこと、
悪い部分があっても指摘はあえて飲み込んで、さりげなく援助して直してみてください。

そうして、できた部分、頑張った部分を認めてください。
せっかくのチャンスを、スタッフの自己満足の為に潰す手はありません。

 加えて、押し付けではなく、本人の意思をかならず盛り込むことです。
一方的に提供されるものというのは、対象者にとっては、頼んだわけではないので、所詮他人事です。

気に入れば取り組むし、飽きればやめる。
この「他人事」を、いかに「当事者」、「自分の事」として引き込むか。
ここが、ポイントです。
飽きてやめてしまうからといって、面白さだけ追求したプログラムは、方向性を見誤ります。



おわりに

 「この人はすぐ飽きて…」「この人が自分で選んだんだから…」なんて、
対象者のせいにしている暇なんてありません!
我々が関われる時間、援助出来ることなんていうことは、限られています。
その限られた関りの中で、対象者に、少しでも楽しくハリのある生活に「進んで」もらいたい。
色々なものを、選び取って生きていけるという当たり前の事を知ってもらいたい。
これが私たちの原動力であり、プログラムの質を高める要素だと思うのです。

先ほど、安っぽい巾着で満面の笑みを見せた方に出会ったことについてお話しましたが、
この頃、私は既に精神科で働くことを決めていた後で、
「これがキッカケで私はOTを志しました」というベタな展開ではないのですが、
「もっと沢山、色々なものを手に入れて欲しい」と思ったこの気持ちが、
今も私を精神科の援助者としてここに居させているものであると思います。

患者さんの、新しい笑顔を引き出せた時。
仕事をしていて、やっぱりそれが一番嬉しい時なんですよね。