全然順調じゃない日々

  GHを立ち上げてはや六年。思えばいろんなことがありました。
 そして、今もいろんな事があります。
 その日々のどたばたをちょっとご覧下さい。 

入居すると、メンバーのほとんどに大変な問題が起こります。「肥満」です。食べ過ぎちゃう。何よりも手っ取り早く退院の喜びを実感できるので、ある人は、おかわりできるのが嬉しくて、おかずは少しでいいからお腹いっぱいご飯が食べたいと言いました。間食も多い。長い入院生活で鬱積したものがあったのでしょう。そこで栄養士の協力をもらい料理教室を始めました。

入居当初、女性のメンバーが入院中食べられなかったお寿司を食べたいというので、回転寿司に行きました。でも、みんな回転寿司は初めてで、お茶はどこか?と探したり、メニューをじっと凝視して、ひとつひとつ隣にいるスタッフに聞きます。システムを理解したら、一番安い皿ばかり選んであまり食べません。みんな必死でお金の計算をしてたんです。入居料の食費部分から夕食分として五百円を出したら、急に元気になって好きなネタを注文し始めました。逆に男性は、20皿以上も食べて声も出ないくらい感激していました。
いろんなパーティーをしました。ある人が「ワインが飲みたい。」と言うのでワインで乾杯してみたら、一口飲んで「なんだ、ワインってまずいんですね。」この方は今までワインを飲んだことなどなかったんです。

GHでは基本的にお薬は自己管理です。でも、服薬がでたらめで入院するメンバーがいました。そこで、自分の健康を守るために学びの場が必要と考え、病気や薬についての学習会や、カラオケなどの社会見学を始めました。これは現在、DCに受け継がれています。

みんな、入居後1ヶ月くらいして少し落ち着いてくると、次に年金が入るまでお金が足りるかどうか、不安になりはじめました。ある人は、極端に節約しようとして、水を流しっぱなしで顔を洗うから水道代がかさむ、乾燥機を使うから電気代がかさむ、と言って目をつり上げました。せっかく退院したのに、望むような生活が手に入らない怒りや焦りもあったろうと思います。

家族が年金を管理している人たちは、なかなか持ってきてと言えず、小さくなっています。入居したての頃はおやつを買うとみんなで楽しそうに分け合っていたのに、「俺、金がないから自分の分しか買ってこなかった、ごめんな・・・。」とすまなそうに隅っこで食べる人もいました。
「お茶を出すとお金がかかるから」と来客を拒んだ人もいました。
 こんなに極端ではありませんが、今でも似たようなことはあります。お金に関する不安は、生活や将来に対する不安の現れなのかもしれません。


長い入院生活のせいか、社会性が乏しい人もいます。男性のAさんは入居して間もない日曜日、少し早く起きてお腹がすいたと、皆の朝御飯の丼ぶり飯4杯を後先考えずに食べてしまいました。もちろん悪気はないのです。でも、他の人はかなりむかついていました。別な休みの日には、誰にも行き先を告げず外出して、遅く帰ってきました。皆で心配して探し回ったそうです。しかし、当人は迷惑をかけたと思わないので、謝るどころか、注意されたのが面白くないと憤慨し、どんどん人間関係は悪化していきます。ミーティングで共同生活の場としての約束事をメンバーと話し合いました。それから彼も気を付けるようになりました。彼は35年間も入院していた方でした。

Bさんが2キロ先の病院に通院することになりました。一人で行けないと恥ずかしいという思いと、道順や降りるバス停を間違うんじゃないか、といった不安が強く、何度も道順を教わり、何度も自分で大丈夫、大丈夫、と言ってました。そして、その当日の朝になったら、なぜか自転車を引き出したのです。「運動のため自転車で行くことにした。」と。
 サポーターが密かに追いかけたら、ちゃんと病院に到着していました。一人で受診できたお祝いにと、GHにどらやきを買って帰り、みんなに勧めていました。そしてある雪の日、とうとう思い切ってバスに乗って受診。今では、一人でバスや電車を乗り継ぎ、実家の墓参りに出かけるまでになりました。


女性のCさん。以前は障害年金だけで、ギリギリの生活を送っていましたが、生活保護の基準が改定になり月数万円貰うようになってからは、衝動買いが目立ってきました。一日千円以上お小遣いを使い、ジュース、お菓子はもちろん、みかんを箱で購入したりと乱費は止まりません。いうと、たばこを吸うと口が渇くのよ、自分のお金だから良いじゃない!と怒ります。でも、遠くにいる娘さんに逢うための貯金さえやめようとします。どうしたんだろうと思いました。
実はそのころ、彼女は通っている作業所にボーイフレンドができたんです。何をしてもはつらつと輝いて、私達も目を見張る程の変わり様でした。しかし、その彼は施設に入り、自然と連絡が途絶えてしまいました。そして彼女は、娘さんに会いに行く事を目標に、また貯金をはじめました。


男性のDさんとEさんは入居前から仲が良く、「相棒」と呼び合う仲です。GHに入居するのも、何をするのも一緒でした。入居後の体重変動まで全く一緒でした。お金が入る日の前後に体重が増え、お金がなくなると減ります。よくよく本人たちに話を聞いてみると、おやつに近くの店でラーメンやカツ丼を食べたり、パンを食べたり、1.5Lのジュースを飲んだりしてました。
注意されると、注意された事ばかり気にして、何のための注意か理解しません。この2人はどちらかというと理解力に乏しいメンバーです。主治医やPSWからも体重の変化が体に及ぼす影響や合併症などについて分かりやすく説明してもらい、定期的に体操や散歩、毎日の体重測定を入居者全員でも行うようにしましたが、結局、外来受信日の朝、絶食するようになっただけでした。


Fさんは入居当初、何か変な事を喋ってしまいそうだからと常にマスクをして、人との交流をさけている、自分からはほとんど話さない人でした。でも、生活保護の支給日に必ず金融機関に行きお金を下ろしてきます。偶然、その場で一緒になったスタッフが見ていると、入って直ぐに「おはようございます」と挨拶し「すみませんが記帳をお願いします」。記帳が終わると「ご迷惑をお掛けしました」とハキハキした口調で話します。自分で考えての行動でした。社会との接点があることの大切さを改めて感じた一場面です。
今ではAさんは、殆どマスクも付けず近くのスーパーへ行き、大好きな鯛焼きを買ったりと行動範囲が広がって、GHでの生活を満喫しています。


Gさんはとっても家族思いです。娘婿が手術することになり、仕事もできない状況を電話で知ってとても心配していました。このため少ない自分の小遣いから少しづつお金を貯め、少しでも役に立てればとうどんとお金を送りました。
その娘一家が彼に逢いに来ました。久しぶりの再会に会話も弾み楽しい一時を過ごしました。娘一家が帰る間際には別れる悲しさのあまり部屋に引っ込んでしまい、帰った後にはこらえていた涙がドッーと溢れてきました。それを見て他のメンバーが優しく彼の肩を叩きました。

外来通院の方が入居しました。実家に居場所がなくなりつつある、社会的入院予備軍の方でした。外来では、いつも大変おとなしく遠慮がちでしたが、GHに入居したとたん明るく元気になってしまい、私たちは驚きました。環境の変化で調子を崩したのでは・・・?でも、実はただ単に明るい人だったのです。

「のぞみハイツ」から移動する希望者を募ったところ、どうしても残りたい、という人がいました。理由は、「小谷地は遠い」でした。この人にとっては、病院から700メートルの距離が、とっても遠く感じたのです。

女性のメンバーは意外なほど料理が苦手でした。彼女たちはあり合わせで料理を作りません。ありったけ食べてしまうか、余らせてそのまま放っておくか、です。中途半端に残ると、どうして良いかわからないのです。
 彼女たちは、冷蔵庫に食料品があっても新たに買ってきたものだけを使います。献立を考えたり物事の手順をイメージしたりすることは、とても大変で、本を見ながら作ることも難しいことでした。でも、彼女たちも昔は普通の主婦だったんです。


多くの男性メンバーは、休みの前日に料理の作り置きを用意されると迷惑だといいました。同じおかずは一度しか食べません。残ったおかずは捨ててしまう。長年の入院生活や社会生活の乏しさと関係しているのかもしれません。そういえば、一部のメンバーは最初、食後、我先にとコップを持って服薬のため水道に向かいました。これなどは間違いなく病院生活の名残だと思います。

女性のHさんは自分を表現することがとても苦手です。でも、少しずつ作業所になじみ、楽しい、とうれしそうに話していました。彼女は食事の時音を立てて食べるので不快だ、行儀が悪い、と他のメンバーから言われても、動作がゆっくりなのを「のろまなんだから!」と言われても黙って無表情でした。
 そのうち、彼女はご飯を食べなくなりました。そしてある日、彼女はGHに入れなくなりました。「GHに戻りたくない、食事なんてしたくない。病院に戻りたい・・・。」そう言って入院してしまいました。部屋からは薬の飲み残しが沢山見つかりました。彼女はのちに「GHではいじめられた。辛かった。」と話したそうです。


女性メンバーは、入居から1年9ヶ月の間に、次々と入院していき、とうとう二人きりになってしまいました。更にサポーターまで骨折。「どんどん人が減っていく。。」とつぶやく二人。この二人はあまり仲が良くありません。家事だって入院したメンバーにさせて自分は全然しなかった人たちです。とっても不安でした。でも、状況が変わればちゃんと動くんです、二人とも、自分から家事を分担しはじめました。そして、入院していたメンバーが退院したとたん、また、元のバトルが始まりました。




Aさんたちは、2002年9月、郡内の交流会で自分の体験を発表しました。
そのときの原稿もご覧下さい。(一部編集を加えてあります)

   「Aさんのお話」
   「Bさんのお話」