Aさんのお話

私は、昭和三十二年に学校を卒業してから、ずっと仕事をしていましたが、昭和四十六
年に発病しました。夜も眠れなくなり、急激にやせてしまい、更に両親に反抗的になり入
院することになりました。病気になった時はこのまま自分はどうなってしまうのだろう、
仕事に復帰できるのか、家に帰れるのかと頭を悩ませました。平成十年にグループホーム
に入るまで三回入退院を繰り返しました。入院中父が亡くなったりして、悲しいこともあ
りました。でも気持ちを強く持って、石越病院に二十年もお世話になりました。今はすっ
かり落ち着いて、病気のことなど忘れてグループホームの人達と、一緒に楽しく毎日を送
っております。

 グループホームが出来る前はこのまま入院して体が不自由になったら老人ホームに入る
しかないと思っていました。これが私の運命なのだと思って諦めていました。父が生きて
いたら帰れたのにと思うと残念な気持ちで一杯になりました。

 その後グループホームができるというので、一番先に申し込みをして入れていただきま
した。ようやく退院ができると思い嬉しかった反面、他の入居者とは顔見知りでしたがう
まく生活できるかどうか不安でした。○○ハイツは新築で、六畳の個室が四つと十畳の
二人部屋が一つで、一階と二階にトイレがあり、またサポーターさんが食事の世話や色々
な相談にのってくれるというので生活しやすいかなぁーと思いました。実際に新築の○○
ハイツは居ごこち満点でした。病院の近くなので、分からないことなどはすぐに看護婦さん
などに聞くこともできました。

 仕事については職親作業として入院患者さんの洗濯たたみをしております。始めは名札
がなくて名前を覚えるのに大変でしたが、名札を作ってからは便利で迷わなくなりました。
最近は洗濯たたみのメンバーが増え、先輩である私達は名前を教えたりしました。病院が
仕事場なので入院してた頃の友達が顔を見せてくれるので嬉しいです。



 ○○ハイツに入ってから一年過ぎ、ある日今度男子が入るというので私達は**ハイツ
へ引っ越しすることになりました。公立病院の向かいの路地を少し入ったところで静かな
ところでした。六畳に二人はちょっときゅうくつですが、向かいに医院があったり、少し
歩くとコンビニや牛乳屋さん、歯医者さんがあったりして、買い物などには便利なところ
です。去年の九月、入院していたもう一人の仲間が外泊を繰り返しわが**ハイツに入っ
て来ました。それまでは三人の生活でしたが、四人になり以前にもましてにぎやかになり
ました。○○ハイツ、**ハイツにいる時、仲間が調子を崩して入院し、寂しい思いもし
ましたが、仲間の退院を信じて毎日留守番をしていました。やっぱり退院して戻ってきた
時は大変うれしかったです。この時は我が家だなーと実感しました。

 石越病院でデイケアが昨年の九月より始まり、私ともう一人は今年の四月より参加し毎
週金曜日楽しい一日を過ごしてきます。ただ、私は陶芸が苦手で出足がひっこみがちです。
プログラムの中で一番楽しいのは今のところ革細工で、はんこ入れやコースターやふくろ
うのキーホルダーを作り手元に置き、毎日ながめています。私にも作れるなーと実感して
おります。このデイケアを通じて色々な人と出会い、色々な話を聞き少しでもこれからの
生活に役に立てればと考えています。

 昨年四月、白内障で左目を手術しました。知らない人の中での入院生活、一人で大丈夫
か、本当に手術して見えるようになるのかと内心不安でいっぱいでしたが、メンバーの温
かいかけ声とサポーターさんの協力をもらい無事に手術を終える事ができ、全快の今日で
す。

グループホームの中で時々は口げんかをやりますが、いつまでも根に持たないように心
がけ、みんなと仲良く暮らすように努めています。今さら実家に帰れないしずーっとグル
ープホームにおいて欲しいと思います。これが私の本心です。でも老人ホームもあるし、
実際の所どうしたらよいのか迷っています。
 


(2002年9月、登米郡の交流会で、Aさんが自らの体験を語ってくれました。
内容編集の上、ご本人から掲載許諾を頂いております。)