現在抱える問題点

*すみません。ここ読むと、まるでお先真っ暗ですね。でも、決してそういうつもりではないんです。
 どんなに困難を抱えていても、どこかに道はあるはずです。
 それを右往左往しながら見つけていく場合もある。
 これはその右往左往の歴史をのちのち振り返ろうとの思いで、書いているもの。
 あんまり暗く受け取らないでくださいね。


 サポーター業務の見直し(2004年前期)

  まずはこのように変えてみました。・

1.サポーターを各GH毎に固定化しました。
  以前は各GHにまんべんなく目配りできるようにと、ローテーションしていましたが担当を決めないため
  関わりが表面的になり、責任が不明確になったと感じたからです。

2.GH担当のPSWを任命し、いつでもGHに飛んでいける人材を確保。
  専門知識を生かし、サポーターでは足りない部分をカバーする。

3.サポーターの勤務時間の変更。
  今までは7:00〜19:00のうちの8時間労働でしたが、それを9:00〜18:00(昼休み1時間)という
  勤務に変更しました。

4.朝夕はサポーターが作っていた食事を、夕食のみ作るようにしました。
  運営要綱にある「朝夕の食事の世話」は、食事をこちらで作って供する事を必ずしも意味しない、
  と考えたからです。
  日中は、DCや作業所に顔を出したり、メンバーへの個別対応を行うために使う、と決めました。

5.出勤場所を変えました。
  現在、作業所として使っている元縫製工場を、総合サポートセンターと位置づけ、GHスタッフは毎朝
  そちらに出勤するように変えました。そこで朝のミーティングを行った後、各GHに散っていきます。

6.今まで不定期だったGH全体ミーティングを、サポートセンターで定期的に行うことにしました。
  現在、旅行や大掃除の計画、備品購入や入居料、工事などの費用負担に関する説明など、GH全体に
  関係する事を話し合っています。


 新たな体制作り!(2003年後期)

  サポーターの異動があったのを期に、GHのあり方を大きく変えていこうと思うんですが・・・

  なかなかマンネリ化が打破できません。
  GH立ち上げからまもなく6年。作業所も試行錯誤ながら動きだし、GHメンバーの生活も少しずつ
  変化が現れ始めました。来年は各種社会復帰施設が開設される予定であり、それにともなって、
  GHも更なる変化発展を遂げていくための岐路に立っています。
  スタッフが変わり勤務態勢が変わっても、今まで「そういうものだ」と思いこんできたメンバーの意識
  は、すぐにかわるものではありません。スタッフだって、メンバーの期待に応えたいのが人情です。

  でも、変化がなくなれば、物事は成長を止めてしまう。
  成長は常に変化と共にあるのです。病院もGHも、作業所も、DCも・・・、いや、施設だけではありま
  せん。私たちすべてが、お互いに何らかの形で関与しあいながら。常に変化・成長・発展の道を
  歩んでいるのだろうと思います。
  変化しないものは、いつか廃れ、淘汰されてしまう。怖いことだ、と思いませんか?
  そして、成長しなくなってしまったGHは第二の病院、単なる収容施設と成り下がってしまう。
  そんな後退をさせてはなりません。

  では、施設化を防ぐにはどうしたらいいか?
  簡単なことです。保護的部分をどんどんそぎ落としていけば良い。
  それをこれからはやっていこうと思うのです。
  どうか見守っていて下さい。
  


 もっと個性の重視を!(2003年前期)

  地域の活動や病院のデイケアにも参加して、活動範囲を広げていますが・・。

  どうしても、メンバーもスタッフもマスプロ的に流れてしまいがち。
  
GHを開設して5年、合計3軒13名になると、良くない意味での「慣れ」を生じてきます。下記に述べて
  いるマンネリ化はその最たるものかもしれません。スタッフは仕事を流すことを覚え、メンバーはチャレ
  ンジ精神をどこかに亡くしてしまう。
  長期入院の弊害のひとつ、施設症。これは入院者とスタッフ双方に生じるある種の環境適応でしょう。
  でも、せっかく退院してもこの癖が抜けなかったら、いつまで経っても未来が開けません。

  ここまで入居メンバーが増えてくると、いやでも全員一緒は難しくなります。
  これだけ年齢も生活障害部分も、入居期間も、生活状況も、将来への目標もまちまちになっているのに
  全員横並びで画一的に管理しようとする方が無理です。これは、もしかするとチャンスかも♪食事だっ
  て洋食レストランにいきたい人もいれば、カウンター席でお寿司をつまみたい人もいる。
  ドレスアップしたい人もいれば、気取らない格好をしたい人もいる。当たり前のことです。
  DCや、来年度からの行う予定の外来作業療法なども考え合わせると、かつてのGHの行事は、そちら
  に振り替えていくことも考えたいものです。

  幸い、それぞれの生活パターンに合わせて、昼食は時間も内容もバラバラになってきました。
  DCや仕事など日中を過ごす場所が多岐に渡って来るに従い、以前は食事当番を決めて全員一緒に
  食べていた昼食が、個人任せになってきました。たまには外食したいとか、面倒だから食べないとか
  人によって違います。これはごく自然な事で、毎日3回、決められた時間に全員そろって食べるという
  方が、なんだか不自然な気がしませんか。

  今後もう一件GHを立ち上げる予定があり、PSW(精神保健福祉士)も更に4〜5名新規採用します。
  ここいらでひとつ、マンネリ化をうち破りたいな、と思っています。


 マンネリ化が始まった!(2002年)

  最初のGHを開設してから3年余り。全てを見直していく時期に来ています。

  メンバーもスタッフも、日々の日課をこなすだけの生活になりつつあります。
  
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
  今のままの日常生活を維持していくだけで、メンバーもスタッフも満足しているのでしょうか?
  最初の期待に満ちた心はどこに行ってしまったのでしょうか?
  「このままで良い。」と話すメンバーもいます。でも、それは本心でしょうか?
  今よりも更に明るい未来が待っているのに、気づかないだけなのかもしれません。
  スタッフも目先の仕事をこなすことに終始していないか?今一度、見つめ直す時期だと思います。
  
  このままでもメンバーもスタッフも生きていて楽しくありません。
  何か突破口を開いていかないと、これ以上発展性のないGHが出来上がってしまいます。
  
自分たちの夢や希望に少しでも近づいているといった実感がなくては、かつて退院のあてなく長期
  入院を強いられていた時代とどこが違うでしょう?
  GHを病院の代用品にしてしまうわけにはいきません。

  これから全てを見直します!
  一人でも多くの方が「生きててよかった!」と輝くような笑顔で語る事ができるように、私たちに何が
  できるか?今一度原点に立ち戻ってやり直していこうと思っています。


 お金がない!!!  家族編(2001年)                   

  メンバーの年金などがそのまま全額メンバーの為に使われるとは限りません。

  
障害年金は、本来、当然障害者本人のために使われるべきものです。
  
でも、入院・外来を問わず見聞きすることですが、障害年金は本来の目的とは違う使われ方をされる
  ことが多いのです。せめて、障害年金の振込先の通帳を自分で管理していれば、とりあえず全額その
  口座に入金されてきますから、懐が寂しくなっても入金日まで待つだけですみます。
  しかし、そうでない場合があるのです。

  メンバーの年金などを身内の方が管理している場合がありますが・・・・
  入院している方にも見られるのですが、年金証書と通帳を家族やその他の親戚などが管理していて、
  自分たちの生活費として使ってしまう事が時折あります。
  ある方の理屈はこうです。
  「自分たちはこの患者のおかげでずいぶん迷惑しているし、世話もしてやっている。だから、自分たちが
  使っていいのだ!」
  また、ある方はこういいます。
  「申し訳ないと思っている。でも、給料は遅配でいつ入ってくるか分からない状態。せめて一時金でも
  会社から出れば、少しでも返したいと思っている。」
  (注:これらは入居者の家族とは限りません)

  基本的に家族にもお金が無いことが多いのです。
  障害年金を貰っている人は、金の卵を生むニワトリみたいな感じがします。→「悲しい話」へ
  でも、心からすまない、と思っている家族が多いのも確かです。

  でも、当然のように年金を本人からむしり取る家族もいるのです。 
  そして憤りを禁じ得ないのは、そのお金を飲食や衣類・遊興費などに使いながら、本来受給者であるは
  ずの障害者には決して使おうとしない家族すらいると言うことです。
  自宅にいても、家族はみんなで外食に行くのに一人カップラーメンをあてがわれて置いて行かれる人が
  います。入院していた方がお金がかからないと言って退院させたがらなかったり、グループホーム入居
  を拒むこともあります。
  
  お金がない近親者とお金をほしがる近親者は、障害を持つ人たちの幸せを阻む要因なのです。 


 お金がない!!!  行政編 (2001年)                  

  メンバーは一見恵まれているようですが、まだまだ日本の福祉は貧困です。
  
*2001年9月石越町に小規模作業所誕生、2002年4月要項より就労規定がはずれました。)

  補助金をもらうための要項には就労が規定されていました「GH実施要項(旧)」へのリンク
  でも、石越町には作業所がなく唯一の職親は石越病院。町に作業所のある「サンハイツ」はまだしも、
  「のぞみハイツ」は困りました。病院の訓練生枠を拡大しても、男性は12月の入居で、平成11年度
  の職親受付はすでに終了。とりあえず病院でアルバイトをしてもらおうとしましたが、アルバイトのできる
  人は職親の申請資格が無いという。でも、実際問題として、長期入院から退院したばかりの人を、
  一体何処で雇ってくれるでしょう?すぐに一人前の仕事は無理です。その上、彼らにはお金もない。
   現在は男性メンバーの金欠不安解消のため、職親の事前研修で適正を見るという事で、交代で清掃
  や洗濯物たたみ(職親訓練生の仕事)をしています。背に腹は代えられません。そして、4月には職親を
  申請する予定でしたが、新年度の訓練生枠はすでにうまっていました。
   でも途方に暮れている暇はありません。とりあえず何とかします!「就労について」へのリンク
  
  国の要項では高齢者の就労も免除されません
  白内障の進んだ65歳のメンバーがいます。この人は「退院しても老人ホームしかないと思ってました。
  生活できる家があるなんて夢のようです。死ぬまで置いてほしい。」と話しています。
  
  適当な職場があっても、交通の問題が出ます。
  
駅前とはいえバスも電車も本数が少なく、交通費の助成もありません。他市町村のような半額免除や
  タクシー券の支給はなく、適当な医療機関が遠いので、うっかり病気にもなれません。
 
  利用料からもおわかりの通り、これが補助金をもらい赤字を最小限に押さえたぎりぎりの状態。
  これにサポーターの給料を上乗せして入居料を月十数万円にしてしまったら、払える人はどれだけいる
  でしょうか?健康保険や公費負担のような制度が国にあればいいのですが・・・・。
  
  メンバーや私たちにお金がないように、行政でもお金がありません。
  これは何という悲しい現実でしょう。福祉には悲壮感がつきまとうのが当たり前なのでしょうか?
  明るく楽しい福祉を作っていかなければ、受ける側だって肩身が狭くて辛いものです。
  メンバーは、こんな社会の中で生活しているのです。


   職親制度・・・・・正しくは「精神障害者社会適応訓練事業」。
             「職親制度とは」←こちらをご参照下さい。


 お金がない!!!  メンバー編(2000年)                   

  絶対にさけて通れない現実の一つです。

   やはり生活していくためにはお金が必要です。
  入居当初は何かと物いりだし、退院がうれしくてみんなにおごったりするのですが、1ヶ月くらい経って
  ふと気づくのはお小遣いの心細い状態。毎月まとめて入居料を支払うのですが、年金は2ヶ月毎にしか
  入って来ません。まとまった金額が一気に出ていくのはとっても不安です。好きなだけ食べて良いので
  すが、食べた分だけ食費は増えます。電気でもガスでも水道でも好きに使って良いのですが、使った分
  だけ光熱水費は増えます。自由にして良いんだけど、自由にしていると、お金がかかることばかり。
  
  家にごろごろしているのは、体がなまっていくようで不安だ。
  病院にいれば看護職員が行事やレクを考えてくれるのに、ここでは何かしようと思うと、必ずお金が
  かかるようだ。どうしよう、お金が続くかしら?
  身内にお金の話をしたら「金なんてない!」と言われた。
  やっぱり病院に入院していた方が良かったんじゃないか?
  一生入院していなければいけないと諦めていたけど、GHに入れてやっと自由になってとてもうれし
  かったのに、これからいつまでもお金の心配をして暮らさなければいけないんじゃないか?
  お金のことが心配だ、でも病院の人には言えない。
  せっかく病院を出られたのに、不満めいたことを言ったら戻されてしまうかもしれない。
  入院していれば安心だ。でも、入院はいやだ。

  
  こうなってくると、もう心には余裕がありません。病気のせいでストレスに耐えられる許容範囲が狭くなっ
  ていたところへ持ってきて、自分の生存権(オーバーと思わないで)が脅かされそうな緊急事態です。
  こうなったら、周りがなんとアドバイスしても、説明しても、なかなか理解できなくなってしまう。
  しかも、せっかく希望にふくらんでいた気持ちは、どんどん風船のようにぺしゃんこになっていってしまう。
 
  また、メンバーのキャラクターにも関係しますが、諍いが生じることがあります。
  「電気をつけっぱなしにする」「水を流しながら顔を洗う」 「晴れているのに乾燥機を使う」・・・・・・・・・・・
  それらをお互いに言葉に出して言えればまだ良いのですが、それが告げ口になったり、相手に言えない
  ばかりにイライラがつのったり、言われなくても雰囲気で感じ取って険悪なムードになったりしていく。
  
  いずれにしても、お金がないばかりに起こってくる数々の問題。
  現実と直面していると言えば聞こえは良いけど、これにはかなりの地域性があります。
  ここは生活保護を受けても殆ど障害年金2級と変わりません
  この不況で仕事はなく、石越町には作業所もなく、唯一の職親が石越病院
  その職親制度ですら、不安です。
  こういった話は、本当に悲しく辛い現実なのです。


 人間関係は難しい! (1999年)                 

  グループホームは社会の雛形だと思います。

   2軒のGHだけで結論は出せませんが、人間関係というものは同じような経過をたどるようです。
   メンバーの中から、まず、リーダーとサブリーダー格の発言力の強い人が2名ほどでてきます。
  年輩者や一見しっかりとしている方で、秩序を重んじる行動をとりがちです。また逆に比較的マイペース
  な人もでてきます。この人は、端から見るとわがままで自分勝手、当番も守らず忘れたふりをする、という
  陰性感情を向けられがちです。価値観が違うだけで悪気はないのですが、その行動が他のメンバーから
  みると秩序を乱しているように思え、だんだん仲間はずれになってきます。その中間に協調性のある人
  
がでてきます。内心思うところはあるのになかなか口にできず、我慢している感じがします。本当はもっと
  のびのびしたいのに、周りに気を遣ってみんなの顔色をうかがいながら、バランスをとろうと心を砕く方です。

   これは、人間が何人か集まったら必ず生まれてくる社会の雛形だと思います。そして、これが病院や
  施設なら、職員が「指導」とか「注意」とか「厳しくしつける」といった方法で解決してくれることが多い
  のですが、GHとはできる限り問題は自分たちで解決してほしい、という場所です。それが守られなければ、
  GHはただの施設となってしまいます。
   もちろん、あまりこじれてしまうとGHでの生活自体が成り立たなくなりますから、私たち周囲の人間は、
  話し合いや日々のちょっとした場面をとらえて、さりげなくフォローしていくことが必要です。思ったことを
  きちんと言葉で相手に伝える事は難しい。でも、それが言えないと困る時は必ずきます。サンハイツには
  病棟看護婦にも訪問してもらってますが、こういったことをしっかり病棟看護にもフィードバックしてほしい、
  と願っています。今までのメンバーをみていると、肝心なことはどうしても面と向かって言えず、陰で「何と
  かしてほしい」と訴えるのです。
   できる限り自分たちの話し合いの中から解決策を探る、それが社会です。こうやって社会性を取り
  戻して行くのがグループホームの一つの側面でもある、と最近は考えています。


 二つのグループホーム共通の経過

   @入居前後      期待と不安から気分の高揚や緊張が強い。!(^^)!
   A入居1ヶ月以内  退院できたうれしさや自由を実感する為もあってつい食べ過ぎて、肥満。(^_^;)
   B入居1ヶ月後    気持ちは落ち着いてくるが、それまでの疲れがピークに達し、人間関係や生活
                費の不安など現実の厳しさに気づき、やや落ちこむ。(-_-;)
   C入居2ヶ月程度  仕事に慣れ始め、お小遣いが入るようになり、スタッフを交えた話し合いで問題
                解決が出来るようになってくると、気持ちも安定してくる。(^_^)